愛知県知多半島に秘境を発見 弘法大師・空海のご利益が宿る岩屋寺とは
パワースポットブログなかよしにお越しの皆さまこんにちは。 今回は愛知県知多半島にあるパワースポット寺院 「岩屋寺」の紹介です。
この寺院は古代に建てられ 多くの人々がその不思議なパワーを求め訪れます。
また、山深い場所に佇む奥の院は弘法大師によって建立され 自然と仏教建築が調和したその風景は
「秘境」の名にふさわしい神秘的な場所となっています。
本記事では、岩屋寺の歴史や特徴、そしておすすめスポットを テーマごとに詳しく紹介していきます。 ぜひ最後までお付き合いください!
◎岩屋寺とは
本日お届けする「岩屋寺」は、知多半島の南西部に位置する寺院で 宗旨(教えの中心になっているもの)は尾張高野山宗です。
敷地内には、岩屋寺本堂
奥の院
阿弥陀堂(あみだどう)
五百羅漢像(ごひゃくらかんぞう)
等があり神秘的な光景と美しい自然が広がっています。
そんな見どころ満載なこの寺院の歴史は古く 1,300年以上前から続いているのです。 歴史的にも文化面においても非常に価値のある場所なのです。
◎遠隔参拝スタート
それでは本日もwebを通し一緒に遠隔参拝しましょう
①山門から境内へ
岩屋寺の山門は知多半島南の中央部を 約12kmに渡り縦断する愛知県道276号線沿いに建ち
すぐ脇にバス停と
50台は停められる広い駐車場が用意されています。
約20段の階段を登ると寺院境内の敷地に入りますが 傾斜が若干きついかもしれません。
そのため、ご高齢の方や、ベビーカーの方、足の不自由な方は 山門から50m東に進んだ入口に向かいましょう。車いすの方用のスロープが設置されているので 安全に出入りができます。
正面山門の階段左手には手水舎が建ち
右手には休憩所が見えて来ます。
この日は快晴で、陽光とのぼり旗とのコラボがとても美しく 境内を巡り疲れた時や、真夏日で汗ばん時は 手水舎の清水で涼み、日よけの休憩所でゆったり過ごせます。
②香炉
手を清めていると、風に乗ってお線香の良い匂いが漂って来ます 背中を振り返ると寺院でお馴染みの香炉で お線香が焚かれていました。
わたしはこの匂いが大好きで、嗅いでいるだけで 気持ちが落ち着き少しほっと出来ます。
お線香の香りが好きな人にとっては香炉の側にいるだけで 安心感を得られるでしょうが
人によっては香りが服や髪に着くから長居はしたくない と言う方もいらっしゃるでしょう。
人それぞれ様々な印象を抱くこの香炉ですが 仏教にとって重要な役割を持っています。 香を炊き、祈りや供養をすることで 場と空間、更には人の気持ちを整えることが出来ると言います。
この記事をお読みになっている方で、もし心にモヤモヤを抱えていたら寺院に訪れゆったり過ごすと良いかもしれませんね。 わだかまりが小さくなり
また何かがみえてくるでしょう。
➂本堂へ
香炉で50円を寄付しお線香を焚き終えたら 次は本堂に向かいましょう。
本堂屋根の軒先にカラフルな仏教旗の幕がはられ
わたし達を温かく歓迎してくれました。
岩屋寺のメインとなる本尊(ほんぞん)は 千手観音(せんじゅかんのん)で あらゆる現世利益を成就させると言います。 少し薄暗くて静かな堂内の奥で黄金色の光を放っていました。
入って左手には朱印やお守りを販売するコーナーがあるので 覗いてみると良いでしょう。
欄間(らんま)と呼ばれる天井下側の部分には 岩屋寺の歴史を伝える絵馬が飾られていました。
また、お賽銭を入れの横には「金剛しょ」と呼ばれる、インドの神が携えたとされる武器が
置かれていました。参拝者が手に取り、功徳(くどく)にあやかることが出来るそうです。
参拝を終え本堂を出た瞬間、思わずはっとしました。
初夏の青空と太陽が境内を照らしていたからです。
この見事な光景を目にし、願い事を一つ叶えたくらいの 嬉しい気分になれました。
④阿弥陀堂(あみだどう)
次は阿弥陀仏(あみだぶつ)を祭る小さなお堂のご紹介です。 平安時代にあたる平治元年(西暦1159年)に 浄土真宗を開いた僧侶、親鸞聖人(しんらんしょうにん)が 知多半島に訪れたことがきっかけです。
半島の野間地区にある源義朝(みなもとのよしとも)の 墓地を訪れた後に岩屋寺に寄りました。 そして、弘法大師由来の井戸水を使い 阿弥陀如来(あみだにょらい)の絵を書き納めたことが始まりです。
阿弥陀如来は、指で輪を作っている仏様で 生きている存在の全てを救い、人が生涯を終えた後 極楽で最高の幸福を与えてくれると考えられています。
日本には奈良時代にあたる西暦600年頃に伝来し 鎌倉時代の西暦1200年代に盛んになります。
この時代は武士が勢力を持ち内乱や モンゴル来襲の元寇(げんこう)により 世の中が乱れ人々が不安な気持ちを持ち始めました。
その結果、阿弥陀如来にすがり念仏を唱え 極楽浄土へ生まれ変わることを祈る浄土信仰が拡大します。
令和時代の現在は、西暦2000年代前期ですが 当時の日本と同じ様に不安が広がっていると思います… そんな世の中だからこそ、阿弥陀仏の存在を意識して 日々の暮らしに励んでみるのも良いかも知れませんね。
⑤経蔵(きょうぞう)
仏教の経典(きょうてん)が収められる建物で 今で言う図書館にあたり、経典自体は宝物館に 厳重に保管されています。
この建物は寛政11年(西暦1799年)に着工 2年後に完成し広さは約16.2平方メートルです。 瓦葺二層総欅造(わぶきにそうけやぐらづくり)と言う 建築様式で建てられています。
また、室町時代から始まった寺子屋(てらこや)と言う お寺での学問教育が多くの方に普及したのも こう言った経蔵にある書物が元になったのです。
この経蔵に収められた経典で多くのお坊さんたちが勉強をし 知多半島に暮らす人々を教え助けて来たのでしょう。
⑤五百羅漢像(ごひゃくらかんぞう)
経蔵を正面に向かって右に進むと、山の斜面に 無数の小さな仏像が建っています。 これが五百羅漢像(ごひゃくらかんぞう)です。
五百羅漢像とは、仏教の教えに基づき作られた石像で 500名の仏教聖者の像(時に絵画で表現)が集められたものです。
仏教における様々な教えに従い行動し 現代以上に多くの困難に直面した時代から存在し 人々を救い模範となってきました。
この起源は中国で、仏教の教えを伝える手段の一つに用いられ 日本全国に広がっていきました。
それぞれの像に独自のポーズや表現があり 見る人に感情や印象と言ったインスピレーションを与えます。
作られてから長い年月を経たものが多く 古くから信仰され、戦乱や自然災害などの不幸から 人々を守り助けてきました。
特に、戦争時には多くの人々がふるさとを離れ 不安や苦しみの中で生き抜いていく状況で 温かい存在として支えとなってきたのです。
彼らは今もなお、岩屋寺でたくさんの姿を見せてくれています。 ご先祖様がそうであった様に、わたし達も彼らの存在を感じることで 激動の時代を乗り越え、日々を生きていきたいですね。
◎奥の院
次は、大自然に囲われた奥の院に向かいましょう。
①奥の院入口へ
奥の院の入口は岩屋寺本堂から徒歩5分の距離に位置し 駐車スペースが約8台分ありますが、本堂前に車を停め 歩いて向かうと良いでしょう。
道中にはカラフルなお地蔵さん達や
畑や草花などの田園風景を楽しめるので 急がずゆったりと歩いて行きましょう。
こう言った風景を眺め、散策するだけで 嫌な記憶が少し薄まってくれた様に感じますね。
②参道の大自然
奥の院へ続く参道に到着し、景色と空気が一変し
多様なご利益をもたらす地蔵や 檀家の方々のお墓も建ち並んでいました。
鬱蒼(うっそう)とした森の中を進みますが 怖さや不気味な感じは一切なく
緑の葉が茂り木々が重なり合う様子や
沢の水が流れる音でとても心が落ち着きました。
➂奥の院
樹海を200mほど歩き、遂に奥の院に到着します。
思わず声が出る美しさで、鮮やかなこの赤い建物は
弘仁5年(西暦814年)に知多半島に上陸した弘法大師の空海が 百日間の護摩修法を行い開山したことが始まりです。
現在でも毎月17日に護摩行(ごまぎょう)が執り行われ 仏徳にあやかることが出来ます。
岩山を切り拓き、人の力で築いた朱色の三重塔が 深い森を貫き天高く伸びる姿を見て
苦難に負けず生き延びて来た人間の歴史を 表現しているかの様で、心強く感じました。
また、大自然と仏教建築が見事にコラボした迫力は この日訪れた場所で最も写真映えしていました。
奥の院の正面左側に小さなお堂があるので 中で少休憩します。
ここから身代わり弘法大師までは登り階段が続くので息を整え
靴ひもが緩んでいないかチェックし 足元に気を付けて進みましょう。
④身代わり弘法大師
小休憩を済ませたら奥の院を背にし弘法大師の像に向かいます。
手摺りをしっかりと握り、一段づつ確実に階段を登りましょう。
途中にもお堂があり、中にお地蔵さんたちが集まっていて
弘法大師が日本に持ち込まれた不動明王(ふどうみょうおう)も 祭られています。
険しい表情で建っていますが、参拝した人の迷いや 煩悩(ぼんのう)を絶ち切ってくれます。
「身代わり弘法大師」が見えて来ました。
お参りの手順としては隣接する堂で
お札を購入し
水場でお札を湿らせたら
石の大師像に貼り付けお祈りします。
自分の体の気になる箇所と同じ場所に貼って祈ると効果的で
季節関係なく多くの参拝者が訪れる様は、弘法大師がそれだけ多くの方に慕われている証となっています。
お札を購入出来る建物内部ですが、むき出しになった山の岩肌を ろうそくの灯りが照らし祭られていました。
見るからに硬く頑丈そうな岩から、自然の荒々しさを感じ それを神として祭り自然の脅威を鎮め人と調和させている。 神道の考えも活かされている様ですね。
秘境の山奥に建つ札だらけの身代わり大師と
薄暗い仏教施設は少しだけ怖くも感じました… ですが、「大らかな存在に見守られている」、そんな気もしました。
この場所に一人で行くのは心細いでしょうから 仲間やご家族と一緒に行ってみてはいかがでしょうか。
「薄暗い空間の中にいたけど、不思議な淡い灯が照らしてくれた」 そんな気にさせてくれるかも知れません。
◎ご利益
ここでは数多くある岩屋寺のご利益を三つに絞り見ていきます
①縁結びと安産
岩屋寺の本尊である千手観音(せんじゅかんのん)のお経に 縁結びと安産のご利益があると書かれていることが由来です。
本堂にある授与所でピンク色の可愛いハート型の絵馬が購入でき この絵馬を買い求め、祈願する女性が多く見受けられます。
願いを書いた絵馬はお堂内に飾りお祈りするのも良いですが 境内にある大師ヶ岳山に登山し 山中に自生する三鈷(さんこ)の松に絵馬をさげます。
その後、三鈷の松の葉を拾い本堂まで帰り 三鈷守りを作り、手に納めた状態で観音様に祈願する。 これの方法がより効果的だと言いますが、小さな山とは言え 傾斜がきつく足場も良くないため無理は禁物です。
②学業向上
弘法大師ゆかりの寺院であるため 学力向上のご利益でも有名で彼は、平安時代初期の西暦804年に遣唐使として中国に渡ります。
5月12日に現在の大阪市付近から出航し、九州を経由してから 東シナ海で嵐に巻き込まれ航路を大きく逸れ 8月10日に福建省の赤岸村に何とか漂着します。
ですが、唐の役人に海賊の疑いをかけられ 身の潔白が証明されるまで50日間も拘束されてしまいす。 目的地の長安に入城出来たのは、日本を出航した日から半年以上 経った12月23日でした。
数々の困難を乗り越え帰国を果たした彼は 仏教のみならず、建築や医学の技術、進んだ制度を学び 国内に持ち込み日本の発展に大きく貢献しました。
苦境に立たされても努力を惜しまず人に貢献した彼のストーリーが 現在に生きるわたしたちに「学びや気付き」と言うご利益を 与えて下さっているのだと思いました。
➂自然の力が運ぶご利益
そして、この場所でわたしが一番強く感じたご利益が 自然の力が運ぶご利益です。
奥の院に向かう参道を歩いていると、自分自身がとても小さく感じました。 自然の中にポツンといるから、心細い感覚もありましたが それ以上に、大きな自然に包まれる様な優しい感覚の方が大きかったです。
更に、静かな森の中で一歩進むごとに、自分が抱える悩みや不安が 小さく感じられましたし、ゆっくりと深呼吸するだけで 身も心もリセット出来たような気にもなれました。
想像してみて下さい。
木々の風景、小川が流れる音、若葉と土の香りを感じるだけで わたしたちの身心にどんな影響をもたらしてくれるのかを。
自然の大きさと、自然の恩恵を再認識し、前向きな気持ちにさせてくれるきっかけこそが
自然がもたらす最高のご利益なのだと実感しました。
この記事を読んで下さっているみなさまにも、ぜひ岩屋寺の自然で得る ご利益を共感して頂きたいです。
きっと、新たな気持ちでスタートするためのきっかけになるでしょう。
◎歴史
ここでは、岩屋寺の歴史をたどっていきましょう
①行基(ぎょうき)が本堂を建立
その始まりは奈良時代に当たる霊亀元年(れいきがんねん)西暦715年 第44代の元正天皇(げんしょうてんのう)の勅使(ちょくし)が 都より派遣され地域の調査を開始します。
その後、東大寺を建立させた「行基(ぎょうき)」と言う位の高い僧が 指導者となり山を切り拓き、岩屋寺を建立しました。
②空海が奥の院を建立
行基による岩屋寺建立から約100年後の弘仁5年(西暦814年)に 弘法大師の空海が旅の途上
知多半島に上陸し 岩屋寺の更に奥深い山中で護摩行(ごまぎょう)を100日間行い 奥の院を建立させます。
➂親鸞(しんらん)が阿弥陀堂を建立
平安時代の平治元年(西暦1159)に 浄土真宗を開いた親鸞が空海ご由来の井戸水で阿弥陀如来(あみだにょらい)を描き納め阿弥陀堂を建立します。
④徳川家との関り
この様に、愛知県の知多半島にある岩屋寺の歴史は 行基(ぎょうき)、空海(くうかい)、親鸞(しんらん)と言う 日本史においても極めて重要な人物によって形作られてきました。
近世に入ると、知多半島も例外なく戦国時代の 荒波に巻き込まれ、江戸時代になっても自然火災により 寺院が荒廃した時期もありました。
災難が続いた岩屋寺でしたが、西暦1,800年代に 病弱だった尾張徳川家10代藩主、斉朝(なりとも)を 祈祷したところ健康な体を取り戻したと言います。
その功績により、尾張徳川家の三つ葉の葵御紋章(あおいもんしょう)を 寺院に飾ることを許され、徳川家の庇護(ひご)を受けた岩屋寺は 再興していくことになったのです。
◎弘法大師ついて
この章では、岩屋寺に深く関わった人物 弘法大師・空海について深掘りしていきましょう。
①弘法大師・空海と「三密(さんみつ)」
平安時代に生きた僧侶で、生前は空海と呼ばれていましたが 一生涯を閉じた後の西暦922年に醍醐天皇(だいごてんのう)から 諡号(しごう)と言う有難い名前を贈られ「弘法大師」と呼ばれました。
この国の歴史を語る上で非常に重要な人物で 現代の中国である「唐」に派遣され仏門や法律、医学、建築と言った 多岐に渡る学問を学びました。
帰国後に日本に持ち帰ったこれらの知識やスキルを全国への布教と並行し教え広め国の発展に大貢献します。
また、もう一つの功績が「真言宗」という宗派を創設したことで この教えは、自分自身を深く見つめ直し、整える。
仏のような生き方に近付けば「心と体は浄化」し 「幸福な人生」を手に出来ると言う考えです。
「心身の浄化」と「幸福な人生を送る」この実現には人間が本来持つ 「仏心(ぶっしん」を呼び起こす必要があり、それが「三密」と言います。
自らの「身密(しんみつ)=体の行動」、「口密(くみつ)=言葉」 「意密(いみつ)=心」を整えれば、今この世に体があるうちに 仏の様な生き方が出来ると言う教えです。
この教えをベースにし空海が熱心に修行に打ち込む姿が 平安に生きる人々に感銘を与えてきました。
また、彼が目的に向けひたすら努力したストーリーに 令和に生きるわたしたちは感化されているのでしょう。
②弘法大師の教え「三密」を深掘り
先に書きました、三密である「身密」、「口密」、「意密」を 具体的に書いていきましょう。
「身密」 ・自分の行動を見直し、正し 本当に大事な人、ものや組織を見極めましょう。
一生涯の中で出会える人、関われるグループは限られてますよね。 貴重なわたしたちの時間を、毒を吐いてくる人の相手に使わずに 大切な親族、信頼できる友人やコミュニティと言った わたしたちを守り、高めてくれる存在の為に使っていきましょう。
「口密」 ・自分の言動を見直し、正し 他人を口撃するのは止めましょう。
得意不得意、能力差や、特徴は誰だってバラバラですよね。 誰もが持つその事実があるにも関わらず、自分たちの事を棚において 個人の悪口ばかりを言うのは昨日までにしましょう。 リアルでもネット空間でも、人の挙げ足をとる言動は 今日からはしないと約束しましょう。
「意密」 ・自分の心の有り様をじっくり観察しましょう。
今できる範囲で、自分が安らげること 心が豊かになることをやってみましょう。 それを見事に成し得たなら、心に余りが出来たなら 大切な誰かの側にいてあげましょう。
中世と比較できないレベルで快適に暮らせる現代ですが そんな暮らしの中にさえ「苦しみ」は確実に存在します…。
わたしたちは、幼稚園、学校、職場、安全なはずの自宅においても 困難に直面し、惑わされる瞬間がありますよね…
わたし自身も、この記事を見て下さっている方の中にも 世の中の理不尽さに恐怖し、人に裏切られた経験をされた 方もいるかもしれません。
そんな時にこそ、この国に生きる一人一人が 空海が教え説いた身・口・意の「三密」を浮かべ自分を整えていきましょう。
人間が本来持っている仏心を呼び起こし、この三密が実現できたなら 一人一人がもっと良い毎日を生きていけるのだと思いました。 この何よりも素敵な想いが叶うことを 弘法大師の空海が楽しみに待っていることでしょう。
◎奥の院
次は、このパワースポットのシンボルとも言える 「奥の院」を解説していきます。
奥の院とは、お寺において一般的に本堂などの建物の奥にある より神聖な場所を指す言葉です。 奥の院には、寺院のご本尊や特別な仏像、または神社の神体などが 祭られることが多く、信仰の対象として極めて重要な場所なのです。
奥の院には、多くの場合、一定の時間を要して歩いて行くことができる 山岳地帯に存在することが多く、そのための山道や参拝道が整備されています。
また、奥の院には、修験者や僧侶たちが修行や瞑想(めいそう)を 行うための場所にもなっています。 参拝者たちにも、静寂の空間や精神的な浄化を求める人々にも 重要で魅力ある場所となっています。
ただし、注意が必要です。奥の院には、多くの場合に一定の決まり事や マナーが存在し、訪れる際にはそのことに留意する必要があります。 例えば、静かに挨拶をしてから参拝すること、特定の場所にしか入ることができないこと、飲食が禁止されていることなどが挙げられます。
奥の院は、日本の文化や信仰の重要な一面を体現する場所で 多くの人々にとって、心の拠り所となる場所でもあります。 そのため、訪れる際には、敬意と感謝の念を常に持って 心を清めて訪れることが望ましいでしょう。
◎感想
本日お届けしました、知多半島の岩屋寺の 感想を書いていきます
〇叔母を思い起こしたお線香の香り
境内に入り、真っ先に目に付いたものが、香炉でした。 お線香の匂いを嗅いでいると、いつも昔の風景を思い起こし それは、叔母と過ごせていた安心で心地の良い空間です。
子供の頃によく兄弟ケンカをし、両親に叱られるたびに 悲しくて怒りを感じ拗ねていた時期が多かったです。 そんなわたしでしたが、家に叔母が遊びに来てくれた時 お菓子を持ってきてくれました。
それまでの悲しさが、まるでなかったかの様に穏やかな気持ちになり お仏壇の前で手を合わせる叔母の側にいました。 そんな時は決まって、弘法大師・空海の話を聞かせてくれました。
前述した「香炉が場の空間や気持ちを整える効果」は わたし自身とても当てはまり、幼少期のエピソードが元になっていました。
大好きだった叔母も晩年は認知症が進行し わたしのことをすっかり忘れ、意志の疎通もままなりませんでした。
それでも、一緒に食べたお菓子の味、そして、叔母から教わった 思いやりと優しい心。 これらは今でもわたしの中で脈を打ち、彼女との記憶は今も心に残っています。
今はもう、わたしを助け守ってくれた祖母はいません。 それでも、寺社仏閣でお香の匂いを感じるたびに 当時の安心感と叔母の姿が蘇り 「逆境に負けず、強く生き抜く覚悟を持ちなさい」そんな言葉を かけてくれた様に感じます。
みなさんにも、そんな大切な人はいませんか? あの人が存在しただけで、あの人と過ごした事実があるだけで 心地良さと幸福を感じ、私たちがどんなに落ち込んでいる時でも 前向きな気分にさせてくれる。
そんな特別な人と出会えただけで
「この世に生を受けて良かった」
そう断言出来るでしょう。
これからもこのwebサイトが、わたしたちの心と、わたしたちのこれからを 繋いでいける様な居場所にしていきたいです。
◎知多半島のおすすめスポット
ここでは岩屋寺がある知多半島のおすすめスポットを ご紹介致します。
〇荒熊神社
↓以下のURLから、知多半島にある天空のパワースポット「荒熊神社」の記事をご覧いただけます。
天空に住まう縁結びの神々の物語
〇尾張多賀神社
↓下のリンクから、知多半島の玉の輿パワースポット「尾張多賀神社」の記事をお読み頂けます。
玉の輿が叶う伝説の神社とは?
〇恋の水神社
↓こちらのURLから、知多半島に鎮座する恋を叶えるパワースポット「恋の水神社」の記事をご紹介します。恋の湧き水が二人のストーリーを約束する
〇野間埼灯台
↓以下URLリンクから、知多半島の恋のインスタ映えスポット「野間埼灯台」の記事をご案成します。白亜の灯台で鐘を鳴らし二人の恋が結ばれた
◎まとめ
本日ご紹介した愛知県知多半島の秘境 「岩屋持」の記事はいかがでしたか?
古代から続く人々の祈りと、深い自然に囲まれたこの寺院で 散策と瞑想をしてみるのも良いでしょう。
岩屋寺のには、無料駐車場があるため車でのアクセスはしやすいです ただ、奥の院周辺は急な階段になっているため、足の不自由な方や ベビーカーをご使用する方は、参拝に少し苦労するかもしれません。
また、夏場は日差しが強く、蒸し暑いため、帽子や日焼け止めを 準備することをおすすめ致します。
周辺には、美しい海岸も広がっているため
海水浴やドライブも楽しめる素晴らしい地域です。
大切なあの人と、時には一人でもお出かけしてみると良いかも知れませんね。
本日も最後までお読み下さり、誠にありがとうございます。 また次回の記事でお会い致しましょう。
◎岩屋寺へのアクセスはこちらです
〒470-3322 愛知県知多郡南知多町山海間草109
コメント ( 0 )
トラックバックは利用できません。
この記事へのコメントはありません。